東海道新幹線

路線について

所在地 東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府
駅数 17駅
開業 1964年(昭和39年)10月1日
距離 515.4km
552.6km(営業キロ)
複線以上が存在しているか
電化区間が存在しているか
最高速度 285km/h(一部区間)

東海道新幹線路線図

クイックアクセスガイド

路線の概要

路線の歴史

沿線の概況

駅の紹介

車両


路線の概要

東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)は、東京駅から新大阪駅までを結ぶ東海旅客鉄道(JR東海)の高速鉄道路線(新幹線)およびその列車です。

世界初の高速鉄道であり、日本の新幹線としては最古の歴史を持ちます。

東海道新幹線の開業前、東西の大動脈である東海道本線は高度経済成長下で線路容量が逼迫しており、抜本的な輸送力増強を迫られていました。これに対し日本国有鉄道(国鉄)は、十河信二国鉄総裁と技師長の島秀雄の下、高速運転が可能な標準軌新線を建設することを決定しました。1959年(昭和34年)4月20日、新丹那トンネル熱海口で起工式を行って着工し、東京オリンピック開会直前の1964年(昭和39年)10月1日に開業しました。計画段階では「東海道新線」と呼ばれていたが、開業時には「東海道新幹線」と命名されました。「新幹線」という呼称は戦前に東京~下関間で計画された「弾丸列車」の内部呼称に由来するといわれています。なお、開業後に一等車(現在のグリーン車)のシートポケットに配置されていた訪日外国人旅行者向けの英語版リーフレットのタイトルは「Japan's Bullet Train - 125mph」とあり、「Shinkansen」という言葉が国際的に定着する前は弾丸列車という言葉をそのまま直訳して使用していました。

1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化により、JR東海が運営を継承しました。西日本旅客鉄道(JR西日本)が継承した山陽新幹線とは相互乗り入れが行われており、東海道新幹線区間のみを走る列車にJR西日本所有の車両が使われることもあります。 2019年(平成31年)3月現在、東京~新大阪間の所要時間は最速2時間22分、最高速度285km/hで運行されています。

東京、名古屋、大阪という日本の三大都市間を高速移動するための交通手段の一つであり、1日当り列車本数:368本、1日当り輸送人員:約46.6万人(年間輸送人員:約1億7000万人)、年間収入:約1兆2532億円など、世界有数の輸送サービスを提供している鉄道路線です(数字はいずれも2017年度・JR東海アニュアルレポート2018より)。

大都市近郊区間について、東海道新幹線の東京~熱海間は東京近郊区間に含まれていない(在来線の東海道本線の同区間は含まれている)のに対し、米原~新大阪間は大阪近郊区間に含まれています。歴史的には、新幹線と在来線の同一区間は大都市近郊区間に含まれていましたが、東日本旅客鉄道(JR東日本)が1999年(平成11年)に東京近郊区間を東海道本線(在来線)熱海までに拡大した際にJR東海は東海道新幹線東京~熱海間を東京近郊区間に含めませんでした。

また、東海道新幹線は国鉄時代からの「線路名称」上では並行在来線である東海道本線の無名枝線(1982年までは無名枝線としての「線増」)という扱いでしたが、国鉄分割民営化時に当時の運輸省に提出された事業基本計画や国土交通省監修『鉄道要覧』では東海道本線とは別の路線として掲載されています。

東海道本線が東京~神戸間の路線となっているのに対し、東海道新幹線は山陽新幹線開通後も東京~新大阪間となっています。なお時刻表上では、山陽新幹線開通後は「新幹線」と表記されていましたが、東北新幹線開通後は「東海道・山陽新幹線」と線名表記に戻っています。


路線の歴史

1964年10月1日東京~新大阪間開業。0系12両編成で最高速度210km/h。東京~新大阪間を「ひかり」4時間、「こだま」5時間で運行。当時は東京駅・品川信号場(現在の品川駅)・新横浜駅・小田原駅・熱海駅・静岡駅・浜松駅・豊橋駅・名古屋駅・岐阜羽島駅・米原駅・京都駅・鳥飼信号場・新大阪駅の12駅2信号場であった。
1964年11月23日静岡県磐田市で「こだま(号数不詳)」が保線作業員をはねる。5名が死亡、5名が重軽傷を負う。
1965年4月15日新大阪駅1番線(現在の21番線)を新設。
1965年4月20日静岡県を震源とするM6.1の地震が発生。静岡市周辺の盛土が崩れた。
1965年9月27日三島信号場(現在の三島駅)を新設。同所に引き上げ線を設置し、のちに電留線も設置。
1965年10月1日増発、「ひかり」と「こだま」が30分間隔となる。
1965年11月1日路盤安定を受け、東京~新大阪間は「ひかり」3時間10分、「こだま」4時間運行となる。
1966年4月25日新大阪発東京行き「ひかり42号」が、豊橋駅手前で異常振動により緊急停車。乗員乗客に怪我はなかった。製造時の問題と金属疲労に伴う最後尾車両の車軸折れが原因となり、製造時のX線による非破壊検査が行われるきっかけとなった。
1966年9月静岡電留線を設置。
1967年3月10日東京駅16番線を新設。
1967年10月1日増発、「ひかり」と「こだま」が20分間隔(毎時6本)となる。
1969年4月25日三島信号場が駅に昇格し、三島駅となる。これにより「こだま」の所要時間が延び、東京~新大阪間4時間10分運行となる。
1969年10月1日翌年の大阪万博を控え、臨時「こだま」を組み込んだダイヤ(多客期に「こだま」を1時間あたり最大3本増発するというもの)とする。
1969年12月8日「ひかり」で16両編成が運転を開始する。
1970年8月15日大阪運転所が東海道新幹線支社から新幹線総局の管轄に移行。
この間大阪運転所が大阪第一運転所に改称し、乗務員部門が大阪第二運転所として分離。
1972年3月15日「ひかり」と「こだま」が15分間隔(毎時8本・うち「ひかり」3本はこの日開業した山陽新幹線岡山へ直通する)となる。
1972年6月29日「こだま」で16両編成が運転を開始する。
1972年10月2日「ひかり」の3往復が米原に新規停車する。
1973年2月21日大阪運転所(鳥飼基地)からの回送列車が脱線事故。ATC管理下の事故として問題となった。
1973年9月1日東京運転所大井支社が発足される。
1974年9月12日東京運転所(品川基地)入出庫線合流地点でATCに異常信号が発生。翌13日いっぱいまで混乱。
1974年11月12日新大阪駅構内でATCに異常信号が発生。11月14日いっぱいまで混乱。
1974年12月11日新幹線臨時総点検のため東京~新大阪間が午前中運休。翌年2月までに4回実施。
1975年1月20日東京運転所が東京第一運転所・東京第二運転所に分割。
1975年3月10日山陽新幹線が全線開業。東京駅のホーム増強工事が間に合わなかったため、増発ができなかった。
1975年7月東京駅3ホーム体制が完成し、「ひかり」と「こだま」が12分間隔(毎時10本・うち「ひかり」4本は山陽新幹線へ直通する)となる。「ひかり」の1往復が新横浜と静岡に新規停車する。
1975年11月26日この日から12月3日までの8日間がスト権ストにより運行を休止した。
1976年2月25日1974(昭和49年)の臨時総点検の結果を受け、若返り工事のため東京~新大阪間が午前中運休。1981年(昭和56年)1月27日まで計44回実施。
1976年7月9日「こだま210号」が新丹奈トンネル内で一時運転手不在の「無人走行状態」となった。
1978年7月4日豊橋~名古屋間で架線切断。約5時間不通となり、51本が運休となった。
1980年4月6日名古屋~岐阜羽島間で架線切断。約7時間不通となり、33本が運休となった。
1980年10月1日「ひかり」が小田原、浜松、豊橋と岐阜羽島に新規停車する。
1981年11月26日栗東信号場を新設。
1983年3月20日三島~静岡間の蒲原トンネル内で架線切断。30本が運休となり、最大で約5時間の遅れが発生した。
1984年4月11日「こだま」は利用者減少で12両への減車を開始する。
1985年3月14日「ひかり」を毎時1本増やし、「こだま」を毎時1本減らす。また、「ひかり」が熱海と三島に新規停車し、毎時2本が新横浜、毎時1本が静岡、毎時1本が新規停車駅と浜松・豊橋の中から2駅に停車するダイヤとなった。さらに、余裕時分の見直し等により東京~新大阪間の「ひかり」が3時間8分運行となり、「こだま」の毎時1本が東京~三島間に短縮される。
1985年10月1日100系が営業運転を開始し、2階建て車両が登場した。
1986年11月1日国鉄最後のダイヤ改正。最高速度を220km/hに引き上げ、東京~新大阪間の「ひかり」が2時間56分運行となる。
1987年4月1日国鉄分割民営化。東海旅客鉄道(JR東海)が継承。大阪第一運転所がJR東海新幹線鉄道事業本部の管轄に移行し、JR東海新幹線運行本部東京第一運転所を再発足させる。
1987年6月東京駅において「JR東海バースデーフェスタ」を開催。
1988年2月1日新幹線運行本部が新幹線鉄道事業本部に改組される。
1988年3月13日新富士駅・掛川駅・三河安城駅を新設。JR移行後初のダイヤ改正を実施。東京~新大阪間の「ひかり」が最速2時間49分運行となり、カフェテリア営業が開始された。
1988年4月1日東京第一運転所が東京第一車両所、東京第一運転所大井支所が東京第二車両所、東京第二運転所が東京運転所、大阪第一運転所が大阪第一車両所に改称された。それと同時に、大阪第一車両所の乗務員部門が大阪運転所、交番検査部門と車両配置が大阪第二車両所、台車検査部門が大阪第三車両所として分割された。
1989年3月11日「ひかり」が毎時1本増発。2階建て車両が編成内に4両組み込まれた「グランドひかり」(100系3000番台/JR西日本)が登場する。
1989年4月29日「こだま」が再び16両となる。「こだま」の指定席車両を「2&2シート」にする改造を実施する(1990年度中に完了)。
1991年9月30日東京発新大阪行き「ひかり291号」で、車輪が固着するトラブルが東京駅出発直後から発生した。当該列車は三島まで運行し、後に15号車の車輪が大きく削られていたことが判明した。原因は駆動装置の潤滑油漏れとされた。
1992年2月100系の投入を終了し、300系の投入を開始する。
1992年3月14日300系が営業運転を開始し、「のぞみ」が1日2往復で登場する。最高速度が270km/hで、東京~新大阪間が2時間30分で運行される。朝の下り一本は新横浜に停車し、名古屋と京都を通過するものであった。また、「ひかり」が毎時1本増発し、日中の東京~三島間の「こだま」が廃止となった。さらに、ユレダスが全面供用される。
1992年3月30日この日から4月1日までの3日間、一部の労働組合がストライキを敢行するも、運転経験のある管理職社員が総動員されたことで運行に影響はなかった。
1992年5月6日名古屋~三河安城間を走行中の「ひかり238号」で主電動機を固定するボルトが折損し、4時間立ち往生するトラブルが発生した。
1992年8月1日東京第一車両所が品川駅構内から品川区八潮に移転される。
1993年3月18日「ひかり」毎時1本を「のぞみ」に置き換え、「のぞみ」の博多への直通運転を開始する。
1994年12月3日この日より東京22:00発の名古屋行き臨時「ひかり」(途中停車駅なし)を臨時「のぞみ」(同)に変更し、名古屋の到着を約15分早めた。
1995年1月17日兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)により京都~新大阪(~山陽新幹線姫路)間が被災し不通となる。山陽新幹線との直通運転を中止。
1995年1月20日この日の12時30分より京都~新大阪間の運転を再開する。
1995年1月21日300Xによる走行試験を開始する。
1995年4月8日山陽新幹線新大阪~姫路間の運転も再開し、山陽新幹線との直通運転を再開する。
1995年12月27日三島駅乗客転落事故が発生。
1996年3月16日300系の増備に伴い、「のぞみ」の東京~新大阪間で金曜日の夜を中心に続行便を増発する。これにより東京毎時00分発の定期列車は一部時間帯を除いて消滅した。夜間帯の「のぞみ」の上下各一本が新横浜にも停車し、米原停車の「ひかり」を岐阜羽島にも停車させる。当該の「ひかり」には300系を限定使用し、300系使用車両で270km/h運転を開始したことから所要時間の増加を抑えた。その関係で東京~新大阪間の「こだま」の一部が名古屋までに短縮され、昼間には100系が使われるようになる。
1997年11月29日500系(JR西日本)の東海道新幹線乗り入れが開始される。岐阜羽島・米原停車の「ひかり」に加えて、静岡駅停車の「ひかり」にも300系を使用。名古屋・京都を通過する「のぞみ」が廃止し、朝夕の「のぞみ」を新横浜にも停車させた。新横浜停車の「のぞみ」は3本から16本に増加。
1998年10月300系の投入を終了。
1999年2月26日新幹線第二総合指令所が完成。
1999年3月13日700系が営業運転を開始(当初はJR東海の編成のみで東京~博多間直通の「のぞみ」3往復に充当)。このころから山陽新幹線直通の「ひかり」にも300系を投入。
1999年9月18日0系さよなら運転が行われ、東海道新幹線での営業運転を終了する。
1999年10月2日700系の増備に伴い、東京~博多間直通の定期「のぞみ」が500系・700系に統一。前日限りで2階建て車両が編成内に2両組み込まれ、食堂車の付いた100系X編成が定期運用を終了した。新大阪を介して山陽区間に直通する「こだま」(改正前の時点で静岡~岡山間に1往復)も運用を終了した。
2000年3月11日東京~博多間、東京~広島間直通の「ひかり」の一部列車をそれぞれ、東京~広島間、東京~岡山間の運転に短縮(ただし臨時延長運転あり)。前日限りで食堂車・ビュッフェの営業が終了。
2000年9月11日東海豪雨の影響により、翌日にかけて全面的に不通となる。「のぞみ20号」が22時間21分遅れで終点の東京駅に到着するという開業以来最悪の遅延を記録した。
2000年10月1日早朝に東京~新大阪間の「のぞみ」1往復を増発。新横浜停車の「のぞみ」を16本から32本に拡大し、山陽区間直通の「のぞみ」は夜間の東京発岡山行き1本を除いて新横浜停車となる。700系の増備に伴い、東京発着の定期「のぞみ」が前述の1往復を除いて500系・700系に統一。
2001年2月昼間の「こだま」に300系が使われるようになる。
2001年10月1日東京~新大阪間の「ひかり」毎時1本を「のぞみ」に置き換え、「のぞみ」が30分間隔となる。この改正で100系が東京発着の「ひかり」から撤退。なお、同年夏にはJR西日本にも700系16両編成(3000番台/B編成)が登場した。東京車掌所と東京運転所の一部が統合し、東京第一運輸所・東京第二運輸所が発足。大阪車掌所と大阪運転所が統合し、大阪第一運輸所・大阪第二運輸所が発足。
2002年5月7日博多駅から名古屋駅へ向けて営業運転中の「ひかり174号」に散弾銃が撃ち込まれる事件が発生。
2002年6月11日FIFAワールドカップ(サッカー)の試合開催に伴い、終了後の観客輸送のため、掛川始発で夜行臨時列車「特別号」を運転(東京行6本と、名古屋行2本)。他にも横浜で開催された試合に関係した、新横浜始発東京行「こだま」も設定された。
2003年9月16日100系さよなら運転が行われ、東海道新幹線での営業運転を終了する。カフェテリアの営業が終了。
2003年10月1日品川信号場が駅に昇格し、品川駅となる。それに伴う大規模なダイヤ改正を実施し、「のぞみ」主体のダイヤとなる。この改正で東京発着列車は品川と新横浜のいずれかに必ず停車することになり、「ひかり」は開業以来、「のぞみ」は運転開始以来設定されていた東京~名古屋間無停車の列車はなくなった。「のぞみ」に自由席が設定され、「のぞみ」・「ひかり」で営業していたサービスコーナーが営業中止となり、新幹線車内での供食営業は車内販売のみとなった。また、小田原・三島・浜松・豊橋の「ひかり」の停車本数が増加し、「こだま」でも270km/h運転を開始した。その結果、東海道新幹線では全列車が270km/h運転に統一された。
2004年6月21日米原~京都間で沿線のホテルの屋根が台風6号の強風で飛ばされ架線を切断。約7時間不通となった。
2005年3月1日同年に開催された愛・地球博の輸送対応として運用実績の少なかった予定臨時「こだま」ダイヤを廃止し「のぞみ」に置き換え、「のぞみ」の品川停車列車を増加した。朝の上りと夜の下りは1時間あたり最大13本運転に(全種別で)。
2006年3月18日保安装置をアナログATCからデジタルATCへ切り替え。神戸空港と新北九州空港(当時)の開港を受けて、東京~博多間直通の「のぞみ」が毎時2本に増発される。
2007年7月1日N700系が営業運転を開始。東京~新大阪間が最短2時間25分に短縮される。この改正で初めて品川駅始発列車が設定される(「のぞみ99号」)。朝の新横浜停車の「のぞみ」と「ひかり」が増加。
2008年3月15日毎時2本の博多直通の「のぞみ」のうち1本がN700系での運転となる。すべての東海道新幹線の列車が品川・新横浜停車となる。この改正で初めて新横浜始発列車が設定される(「ひかり493号」)。「ひかり」の停車駅パターンを変更し(主に新大阪発着系統と岡山発着系統との交換)、小田原・静岡・浜松・豊橋の「ひかり」の停車本数が増加した。また、昼間の「こだま」に700系が使われるようになる。
2009年3月14日「のぞみ」がラッシュ時で最大9本、昼間の定期列車で毎時4本の運転に増発。新たに広島発着の「のぞみ」がN700系での運転となり、毎時2本の「のぞみ」がN700系での運転となる。下り新大阪行きは毎時00分に発車となる(東京駅から昼間の定期列車が毎時00分に発車するのは1996年3月15日まで運行された「ひかり」以来13年ぶり)。早朝に名古屋始発の東京行き「のぞみ」が初めて設定される。また、「こだま」も増発され、この日からN700系車内でのインターネット接続サービスが開始された。
2009年7月1日車両所組織改編に伴い、東京第一車両所が東京仕業検査車両所に、大阪第二車両所が大阪交番検査車両所に、大阪第三車両所が大阪台車検査車両所に改称される。また、東京第二車両所が東京修繕車両所と東京交番検査車両所に、大阪第一車両所が大阪仕業検査車両所と大阪修繕車両所に分割・分離される。
2010年1月29日新横浜~小田原間で「こだま659号」(300系)が通過後に架線が切断。全線で約3時間不通となり、56本の列車が運休となった。「こだま659号」に使用していた編成が1月27日の仕業検査で12号車のパンタグラフ舟板の取り換えを実施した際に上枠のボルトを4本閉め忘れたことが原因とされた。
2010年2月28日500系の東海道新幹線での営業運転を終了する。
2010年3月13日山陽新幹線に直通する定期の「のぞみ」すべてがN700系での運転となる。
2012年3月17日東海道区間における定期の「のぞみ」すべてがN700系での運転となる。東京発18時・19時台に臨時「のぞみ」を1本ずつ追加設定し、各時間帯の「のぞみ」は最大10本(「ひかり」「こだま」と合わせると最大15本)の設定となった。なお、前日の3月16日にて300系の営業運転を終了し、「こだま」における車内販売も終了した。
2013年2月8日N700系1000番台(通称「N700A」「A」はAdvancedの略)6編成が営業運転を開始(東海道区間のみ)。
2013年3月16日山陽新幹線直通列車に「N700A」を投入し、新大阪駅27番線を新設。東京発7時・8時・17時台に臨時「のぞみ」を1本ずつ追加設定し、オーディオサービスは終了となった(NHKラジオ第1放送は継続)。
2014年1月3日東京~品川間(有楽町駅近傍)での沿線火災により、午前6時35分ごろから約5時間にわたり全線で不通となった。
2014年3月15日新大阪駅西側の引上線が2線から4線に増強され、「のぞみ」の1時間あたり最大10本運転が可能な時間帯が東京発7時台~20時台に拡大されるとともに上りについても新大阪発6時台~19時台に導入された。新幹線車内の自動販売機を全廃し、N700系車両については、撤去された箇所で新たに無線LAN設備を活用した実験を行った。なお、自動販売機を搭載していない一部のN700Aの新製車両がダイヤ改正よりも前に走行を開始していた。
2014年10月1日開業50周年を迎え、東京駅・静岡駅・名古屋駅・新大阪駅で記念の出発式を開催。
2015年3月1日東京を午前中に出発する下りの「こだま」(平日の631・633・635号を除く)の13号車が自由席から指定席となる。
2015年3月14日「のぞみ」の一部列車で285km/h運転を開始し、東京~新大阪間が最短2時間22分に短縮される。
2015年6月30日東海道新幹線火災事件が発生。
2017年3月3日静岡~掛川間(静岡県菊川市)で、地震時の脱線防止用として設置されている脱線防止ガードが外れて線路内に落下し、高速で通過した営業列車の台車歯車箱の下部に接触する事故が発生。そのため、取り付けボルトの点検間隔を3か月ごとから毎週に変更し、設置済み区間の約70万本のボルトをすべて締め直した。さらに、ガードの固定方法も、挟み込みからボルト貫通構造に変更された。
2017年6月21日京都~新大阪間(大阪府高槻市)で19時48分に瞬時停電後に架線が切断。京都~新神戸間で翌日未明にかけて5時間以上不通となった。新大阪駅への入線待ちの際にエアセクション内に列車が停止し、パンタグラフとトロリ線が不完全接触したことによって発生した高熱と放電による断線が原因とされた。
2017年9月30日東海道新幹線にてSuicaやPASMOといった交通系ICカードが利用可能となるサービス「スマートEX」を開始。
2017年12月11日博多発東京行き「のぞみ34号」(N700系5000番台・JR西日本)が名古屋駅での緊急点検で台車周辺に油漏れを発見したため、そのまま運転を中止し再度点検したところ、13号車東京寄りの台車に亀裂が入っているのを発見。運輸安全委員会は脱線事故に繋がる危険性があると判断し、新幹線初の「重大インシデント」に認定された。この影響で「のぞみ34号」が停車していた名古屋駅14番線が17日まで閉鎖された。
2018年5月24日20時25分ごろ、米原駅付近でポイント切替検知装置の故障に伴い信号が表示されないトラブルが発生。約3時間後に復旧したが、上下線で16本が立ち往生したほか、計54本に遅れが生じた。
2018年6月9日21時50分ごろ、東京発新大阪行き「のぞみ265号」が新横浜~小田原間を走行中、12号車で20代の男が刃物で乗客三人を切りつける事件が発生した。
2018年7月25日東海道・山陽・九州新幹線共通の車内無料公衆無線LANサービス「Shinkansen Free Wi-Fi」を開始。さらに同日、6月の殺傷事件を受け、8月から順次、N700系の3・15号車にそれぞれ2箇所設置している喫煙ルームのうち、1箇所を業務用室に改修し、盾や耐刃手袋・ベスト、さすまたなどの防護装備を設置すると発表。
2018年9月4日台風21号の影響で午前9時ごろから終日運休となった。当初は一部運休であったが、名古屋~新大阪間の10箇所以上で飛来物や倒木が架線に引っかかっていることが確認されたためである。その後、翌5日未明までに飛来物の撤去を行い、同日始発から運行を再開した。
2020年2月29日700系の東海道新幹線での営業運転を終了する。
2020年3月1日この日に運行された団体専用臨時列車をもって、700系の東海道新幹線での運転を完全に終了する。
2020年3月8日700系の当初の東海道新幹線での営業運転終了予定日。
2020年3月14日東京オリンピックとパラリンピックの開催に伴う訪日外国人旅行者の増加を見据え、「のぞみ」の運行本数を1時間あたり2本増やし最大で1時間あたり12本を運行可能とし、「ひかり」と「こだま」を含めると1時間に17本が走ることになった。
2020年5月20日3辺の合計が160cm超250cm以内の特大荷物持ち込みの事前予約制を開始。
2020年7月1日N700S系が営業運転を開始。
2021年10月1日JR西日本とともに東海道・山陽新幹線「のぞみ」でワークプレイス「S Work車両」を7号車(普通車)に導入(予約開始は9月1日から)。N700Sの7号車と8号車で新たな無料公衆無線LANサービス「S Wi-Fi for Biz」を提供開始。
2022年12月18日豊橋~三河安城間で架線が切れ、豊橋~名古屋間で停電が発生したことから、東海道新幹線全線で約4時間に渡って運転を見合わせた。これに伴って、114本が遅れ、74本が運休となり、約11万人に影響が生じた。運転再開後もダイヤの乱れが続き東京駅・名古屋駅・新大阪駅に列車ホテルが用意された。停電区間内では車内のトイレや空調がストップし、簡易トイレを巡って長蛇の列ができる事態となった。

沿線の概況

東京都にある東京駅を出て、神奈川県にある新横浜駅までは建物が密集しているところを通ります。東京~品川間はJR東日本の東海道本線(多くの路線系統で構成)と並行し、品川からJR東日本武蔵小杉駅付近の間は東海道本線の別線(品鶴線と呼ばれ、路線系統名は横須賀線となっている)と並行します。新横浜駅を出てからは田んぼが混じる中を通り、東海道本線が左側から並行したところで小田原駅に至ります。小田原駅からは山地が相模湾と相模灘沿岸まで迫っているところをトンネルで抜け、静岡県に入り、熱海駅に至ります。熱海駅を出て、トンネルを挟んだところにJR東日本伊東線の来宮駅が見えます。そのすぐ西側から、新丹那トンネルに入り、伊豆半島付け根の丹那山地の下を抜けます。新丹那トンネルを抜けた後もトンネルが続き、山地を抜けたところで三島駅に至ります。

三島駅からは東海道本線よりも内陸側の田園地帯を通り、岳南電車の上をまたいだところから海側に向かっていきます。東海道本線の上をまたいだところで、工場や倉庫群の中を進むようになって、新富士駅に至ります。新富士駅は東海道本線の富士駅から直線距離でおよそ1.5kmほど離れています。新富士駅を出て富士川を渡った後、東海道本線の上をまたぎます。そこから東名高速道路をくぐるまでは山地が駿河湾沿岸まで迫っているところをトンネルで抜けます。その後は静岡平野の中を通り、東海道本線と並行しながら、静岡駅に至ります。

静岡駅を出ると安倍川を渡ります。この先、旧東海道や国道1号は山間に廻り宇津ノ谷峠を越しますが、当路線は峠を避けて海岸沿いへ向かいます。再び駿河湾に近づき、切り立った崖が続く大崩海岸の付近を日本坂トンネルで抜けます。トンネルを抜けた後は東海道本線の上をまたぎ、大井川を渡った後は静岡空港(富士山静岡空港)の地下を第一高尾山トンネルで抜けます。その後の牧ノ原トンネルを抜けた後に東海道本線が並行し、掛川駅に至ります。掛川駅を出た後は東海道本線と並行して静岡県西部の工業地帯を西へ進みますが、工場群の合間には田園地帯も広がっています。遠州平野に出て、天竜川を渡ったところで浜松駅に至ります。

浜松駅を出ると豊橋方を見て左側に貨物専用の西浜松駅、右側にJR東海浜松工場の線路群が広がっています。付近にスズキの本社がある東海道本線の高塚駅付近を経て、東海道本線の舞阪駅付近を過ぎると東海道本線や国道1号と並行し、遠州灘に近い浜名湖南端部を渡ります。その後、東海道本線新居町駅付近で東海道本線や国道1号から離れて、湖岸から離れたところを通ります。パナソニックの工場が見えたところで愛知県に入り、東海道本線が再び並行して東海道本線の二川駅付近を過ぎると豊橋平野に入ります。しばらくして国道259号と豊橋鉄道渥美線をまたいだところで豊橋駅に至ります。豊橋駅を出た後は豊橋平野の田園地帯の中を進み、東海道本線の三河三谷駅付近で東海道本線と三河湾が左側に離れます。ここからは北西方向にまっすぐ進み、東海道本線の幸田駅付近で東海道本線の上をまたぎ、矢作川を渡ってしばらくしたところで三河安城駅に至ります。三河安城駅を出てすぐに東海道本線の上をまたぎ、東海道本線の南大高駅付近までは東海道本線よりも内陸側を通ります。その後、東海道本線の笠寺駅付近から尾頭橋駅付近までは東海道本線とは海側に離れたところを通り、中央本線や関西本線と合流したところで名古屋駅に至ります。

名古屋駅を出てからも東海道本線が並行し、清洲城の近くで東海道本線が右側に離れます。その後は濃尾平野の中を北西に進み、名神高速道路が右側に並行したところで木曽川を渡って岐阜県に入ります。名神高速道路の岐阜羽島ICが見えたところで、名神高速道路が左側に分かれ、岐阜羽島駅に至ります。岐阜羽島駅を出た後、長良川、揖斐川と渡り、東海道本線の垂井駅付近で東海道本線と並行します。関ヶ原は交通の要衝であり、東海道本線・国道21号(中山道)・名神高速道路が寄り添うようにして進みます。また、この付近は豪雪地帯に指定されています。東海道本線の下をくぐって、関ヶ原トンネルを抜けると、滋賀県に入ります。その後はまっすぐ進むようにして近江盆地に入り、左側から北陸本線が並行したところで米原駅に至ります。米原駅を出た後は近江盆地の中をひたすら進んでいき、草津線の上をまたぎます。瀬田川を渡ったところで音羽山トンネルをくぐって京都府に入り、東山トンネルを抜けて奈良線が左側から並行したところで京都駅に至ります。京都駅を出てしばらくしたところで阪急京都線と並行し、大阪府に入るところまで続きます。この区間は当路線の線路が完成した時に阪急京都線が先行供用していました。その後は大阪平野の中を南西にまっすぐ進み、おおさか東線の上をまたいだところで新大阪駅に着きます。


駅の紹介

駅名\種別 こだまひかり(東京~岡山・広島)ひかり(53X号)ひかり(東京~名古屋・新大阪)のぞみ
東京 -
品川 -
新横浜
小田原 ||
熱海 |
三島 |
新富士 |||
静岡 |
掛川 |||
浜松 |
豊橋 |
三河安城 |||
名古屋
岐阜羽島 ||
米原 ||
京都
新大阪

※記号の凡例 ○:停車、△:一部停車、▽:一部通過、|:通過、↓:通過(下りのみ設定)、-:設定なし


車両

N700系

N700S系