飯田線(天竜峡~辰野)

路線について

所在地 長野県(天竜峡~辰野間として)
駅数 43駅(天竜峡~辰野間として)
開業 1897年(明治30年)7月15日(当路線全体として)
距離 79.5km(天竜峡~辰野間として)
複線以上が存在しているか ×(天竜峡~辰野間として)
電化区間が存在しているか
最高速度 85km/h

飯田線(天竜峡~辰野)路線図


クイックアクセスガイド

路線の概要

路線の歴史(伊那電車軌道→伊那電気鉄道)

路線の歴史(国有化後、天竜峡~辰野)

沿線の概況(天竜峡~辰野)

駅の紹介(天竜峡~辰野)

車両(天竜峡~辰野)


路線の概要

飯田線は、愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結ぶ東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)です。

開業からダム建設輸送、第二次世界大戦下の国有化、国鉄分割民営化と、折々の時代の要請の中で愛知県、静岡県、長野県に跨る険しい山岳地帯を貫き全通を果たし、現在も愛知県東三河地方と静岡県浜松市天竜区北西部、長野県中南信地方の都市や農山村を結ぶ路線となっています。起点の豊橋駅から終点の辰野駅を経て長野県の上諏訪駅まで各駅に停車して直通する列車もあり、豊橋駅から辰野駅までは約6時間かかりますが、一度も乗り換えることなく行くことができます。1983年までは旧形国電の宝庫として鉄道ファンの注目を集め、現在でも天竜川の険しい渓谷を縫うように走る車窓風景や、小和田駅や田本駅などのいわゆる秘境駅の存在から鉄道ファンや旅行者に人気のある路線であり、JR東海もそのための臨時列車として急行「飯田線秘境駅号」を運行しています。

元々は直結していたものの4社に分かれていた私鉄(豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道)の路線を戦時国有化・統合したことで成立した路線であり、駅はほぼ開通時の沿線集落ごとに設けられています。このため駅間距離が旧国鉄の地方路線としてはとても短いのが特徴で、全長195.7km中に起終点を含めて実に94の駅があります。それらの平均駅間距離は約2.1kmと大都市の市街地路線並みであり、また地方鉄道の簡易な規格で建設されたことから速度は低く、急カーブや急勾配も多く見られています。中でも赤木~沢渡間の勾配は40‰で、信越本線の横川~軽井沢間(碓氷峠)廃止後は、JR線で最急の勾配となりました。また、駅間が短い路線ながらも、山岳区間を中心に大小138本のトンネルが存在しています。特に半数の68本が平岡~天竜峡間の22.4kmに集中しており、同区間では約46%がトンネルで占められています。

急峻な地形を縫う線形から、過去にはしばしば鉄道事故が発生しました。1955年1月に落石に電車が乗り上げて天竜川で転落した事故では、「落石騒ぎは年中行事」と新聞記事の見出しで扱われました。当時は、防護対策工事を進めるとともに全国一といわれるほど多くの監視員が配置されていました。

豊橋~豊川間はIC乗車カード「TOICA」の利用エリアに含まれています。

豊橋~豊川間は、沿線にある日本車輌製造豊川製作所で製造された車両の輸送に用いられており、2004年までは同所で製造されたフル規格(標準軌)の新幹線車両も、狭軌の在来線用の台車に交換したうえで、この区間を通過していました。


路線の歴史(伊那電車軌道→伊那電気鉄道)

1909年12月28日伊那電車軌道松島(現在の伊那松島駅)~辰野(初代、後の西町駅)間開業。その区間内に追分停留場、大出停留場、沢停留場(初代)、羽場駅、神戸下停留場、南新町停留場(現在の伊那新町駅)、新町停留場、宮木停留場が開業。
1911年2月22日木ノ下~松島間開業。
1911年11月3日御園~木ノ下間開業。その区間内に神子柴停留場、田畑停留場、南殿停留場、北殿駅、塩ノ井停留場、久保停留場が開業。
1912年1月4日伊那北~御園間開業。その区間内に山寺停留場が開業。
1912年1月4日伊那町(現在の伊那市駅)~伊那北間開業。その区間内に入舟町停留場が開業。
1913年12月27日宮田~伊那町間開業。その区間内に赤木駅、音徳寺坂停留場、沢渡駅、唐木停留場、下島駅、小黒停留場が開業。
1914年10月31日赤穂(現在の駒ケ根駅)~宮田間が開業。その区間内に大田切停留場、駒ヶ原停留場が開業。
1914年12月26日伊那福岡~赤穂間開業。その区間内に小町屋停留場が開業。
1915年7月24日伊那福岡終点仮停留場~伊那福岡間開業。
1916年11月23日西町~辰野(国鉄)間が開業し、国有鉄道(国鉄)辰野駅構内に乗り入れ。辰野駅(初代)を西町駅に改称。
1916年12月19日伊那福岡終点仮停留場を飯田方に移転。
1918年2月11日飯島~伊那福岡終点仮停留場間開業。その区間内に伊那赤坂停留場、田切停留場が開業。伊那福岡終点仮停留場を廃止。
1918年7月23日七久保~飯島間開業。その区間内に伊那本郷駅が開業。
1918年10月1日駒ヶ原停留場を廃止。
1918年12月12日高遠原~七久保間開業。
1919年6月14日高遠原停留場を駅に変更。
1919年8月20日社名を伊那電車軌道から伊那電気鉄道に変更。
1920年11月22日上片桐~高遠原間開業。その区間内に伊那田島停留場が開業。
1922年7月13日伊那大島~上片桐間開業。
1923年1月15日山吹~伊那大島間開業。
1923年3月13日市田~山吹間開業。その区間内に下平停留場が開業。
1923年3月16日伊那松島~辰野間を軌道から鉄道に変更し、経路を変更。沢駅(2代)を新設し、羽場駅と西町駅を移転。松島駅を伊那松島駅に改称。山寺停留場、御園停留場、田畑停留場、南殿停留場、塩ノ井停留場、久保停留場、追分停留場、大出停留場、沢停留場(初代)、神戸下停留場、南新町停留場、新町停留場、宮木停留場を廃止。
1923年3月18日元善光寺~市田間開業。その区間内に下市田停留場が開業。
1923年3月21日高遠原駅を停留場に変更。
1923年4月20日南新町停留場を復活。
1923年7月24日宮木停留場を復活。
1923年8月3日飯田~元善光寺間開業。その区間内に桜町停留場が開業。
1923年10月頃上郷停留場(現在の伊那上郷駅)を新設。
1923年11月21日入舟町停留場と神子柴停留場を廃止。
1923年12月1日伊那町~伊那松島間を軌道から鉄道に変更。田畑停留場を復活。
1923年12月6日音徳寺坂停留場、唐木停留場、小黒停留場を廃止。
1924年5月20日入舟町停留場を復活。
1926年12月17日伊那八幡~飯田間開業。その区間内に下山村停留場、鼎駅、切石停留場が開業。
1927年2月5日毛賀終点仮停留場~伊那八幡間開業。
1927年4月8日駄科~毛賀終点仮停留場間開業。毛賀終点仮停留場を廃止。
1927年12月26日天竜峡~駄科間が開業し、全通。その区間内に伊那川路駅(現在の川路駅)、開善寺前停留場、時又駅が開業。
1934年入舟町停留場を入舟停留場に改称。
1935年12月16日上郷停留場を駅に変更。
1936年頃上郷駅を伊那上郷駅に改称。

路線の歴史(国有化後、天竜峡~辰野)

1943年8月1日国有化し、路線名を飯田線に改称。停留場を駅に変更し、信号所を信号場に改称。伊那川路駅を川路駅に、元善光寺駅を座光寺駅に、南新町停留場を伊那新町駅に改称。開善寺前停留場、高遠原停留場、伊那赤坂停留場、大田切停留場、入舟停留場、西町駅を廃止。
1946年9月1日高遠原駅と大田切駅を復活。
1950年5月20日座光寺駅を元善光寺駅に改称。
1954年11月10日伊那町駅を伊那市駅に改称。
1955年4月15日架線電圧を1200Vから1500Vに昇圧。
1959年10月1日赤穂駅を駒ケ根駅に改称。
1961年3月1日名古屋~辰野間(当路線経由)で準急「伊那」の運転を開始。
1961年10月1日新宿~天竜峡間で準急「天竜」の運転を開始(11月からは当路線区間内で長野発着編成を併結)。
1963年6月1日新宿~飯田間で準急「赤石」の運転を開始。
1965年3月5日準急「伊那」「天竜」「赤石」を急行に昇格。
1966年3月25日伊那田島~高遠原間に大沢信号場を設置。
1968年10月1日急行「天竜」の新宿発着編成と「赤石」を「こまがね」に改称。
1972年3月15日急行「伊那」を165系化し、一部列車で7両編成運転を開始。
1978年11月19日「流電」クモハ52形等の戦前形国電の多くが運行を終了し、その代わりとして80系電車が転入した。
1983年2月14日119系電車の運行を開始。
1983年2月24日80系電車の運行を終了(クモニ83形100番台を除く)。飯田~辰野間に列車集中制御装置(CTC)を導入。
1983年6月30日戦前形国電(クモニ83形100番台を含む)の定期運行を終了し、郵便・荷物合造車のクモユニ147形の運行を開始。
1983年7月5日急行「伊那」を廃止。急行「天竜」の松本駅以南を快速化。
1983年9月28日台風10号の影響による土砂注入や土砂崩壊等で100ヶ所以上に被害が発生し、(三河川合~)天竜峡~伊那松島間が不通となった(その後、同年10月4日までに天竜峡~伊那松島間の運転を再開した)。
1984年2月24日(豊橋~)天竜峡~飯田間に列車集中制御装置(CTC)を導入。
1984年6月1日田切を豊橋方面に移転。
1984年飯田線の郵便・荷物輸送の終了に伴い、クモユニ147形の運行を終了。
1986年11月1日急行「こまがね」を廃止し、急行「天竜」を「かもしか」に改称(急行「天竜」の一部は快速「みすず」に降格)。
1987年4月1日国鉄分割民営化。東海旅客鉄道(JR東海)が継承し、日本貨物鉄道(JR貨物)が元善光寺~辰野間の第二種鉄道事業者となる。(豊川~)天竜峡~元善光寺間の貨物営業を廃止。
1988年2月1日東海旅客鉄道静岡支社飯田線営業所を発足。
1988年3月13日急行「かもしか」を廃止。
1988年4月13日北殿駅列車衝突事故が発生(負傷者138~157名)。
1990年3月1日飯田線営業所を本社東海鉄道事業部に移管し、飯田支店に昇格。
1992年12月29日(豊橋~)天竜峡~飯田間で臨時急行「伊那路」の運転を開始。
1996年3月16日臨時急行「伊那路」を特急に昇格し、定期運行化。
1996年9月30日元善光寺駅~辰野駅間の貨物列車がこの日限りで運転を終了。
2001年3月3日天竜峡~辰野間でワンマン運転を開始。
2001年4月1日治水工事に伴い、天竜峡~時又間で線路を付け替え。
2012年3月31日119系電車の運行を終了。
2013年4月1日鼎駅、元善光寺駅、沢渡駅、伊那北駅が無人化し、飯島駅、駒ケ根駅、伊那松島駅が自治体による簡易委託化。これに伴い、長野県内においてJR東海が管理する有人駅(直営駅)は、天竜峡駅、飯田駅、伊那市駅(およびJR東日本管轄の辰野駅)のみとなる。
2013年9月16日台風18号の影響で数箇所に土砂の流入と路盤の流失が発生し、(水窪~)天竜峡~飯田間が不通となった(特に門島~唐笠間の土砂流入量が大きかった)。
2013年9月17日天竜峡~飯田間の運転を再開。
2020年7月5日令和2年7月豪雨の影響で土砂の流入が発生し、(長山~)天竜峡~駒ヶ根間が不通となった。
2020年7月11日天竜峡~駒ケ根間の運転を再開。
2021年8月14日大雨の影響で、宮木~辰野間の横川橋梁が損傷し、伊那松島駅~辰野駅間が不通となった。
2021年8月23日伊那松島~伊那新町間の運転を再開し、伊那新町~辰野(~岡谷)間でバスの代行輸送を開始(ジェイアールバス関東と伊那バスの共同運行で、辰野~岡谷間は同月25日まで)。
2021年11月15日伊那新町~辰野間の運転を再開。

沿線の概況(天竜峡~辰野)

長野県飯田市にある天竜峡駅を出ると、当路線は伊那盆地(伊那谷)の中を天竜川に沿って進んでいきます。伊那八幡駅を出たところで飯田市の中心市街地に向かうため、西に向かいます。切石駅の付近で中央自動車道が西側に並行するようになります。その後東に向かい、伊那上郷駅を出たところで列車が北を向きます。元善光寺駅を出たところで高森町に入り、高森町にある市田駅は川の対岸にある、豊丘村の玄関口となっています。山吹駅を出たところで松川町に入り、その中を通って中川村に入ります。当路線は中川村の中心から西に大きく外れたところを通り、松川町との境界付近を通りながら、飯島町に入ります。田切駅を出たところで駒ヶ根市に入り、市役所に近い小町屋駅を通り過ぎて、駒ヶ根駅に至ります。

駒ヶ根駅を出て、大田切駅を過ぎたところで宮田村に入ります。宮田村の中心にある宮田駅を出たところで伊那市に入ります。赤木~沢渡間の40‰の急勾配を下って、中心にある伊那市駅に至ります。伊那市駅を出てから南箕輪村、箕輪町と通り、沢駅を出たところで辰野町に入って、中央自動車道の下をくぐります。その後も中央自動車道が東側に並行している中を通って、中央本線の旧線(支線)が左側から合流したところで、辰野駅に着きます。


駅の紹介(天竜峡~辰野)

駅名\種別 普通快速特急
天竜峡
川路 -|
時又 -|
駄科 -|
毛賀 -|
伊那八幡 -|
下山村 -|
-|
切石 -|
飯田
桜町 -
伊那上郷 -
元善光寺 -
下市田 |-
市田 -
下平 |-
山吹 |-
伊那大島 -
上片桐 -
伊那田島 |-
高遠原 |-
七久保 -
伊那本郷 -
飯島 -
田切 |-
伊那福岡 -
小町屋 -
駒ケ根 -
大田切 -
宮田 -
赤木 -
沢渡 -
下島 -
伊那市 -
伊那北 -
田畑 -
北殿 -
木ノ下 -
伊那松島 -
-
羽場 -
伊那新町 -
宮木 -
辰野 -

※記号の凡例 ○:停車、△:一部停車、▽:一部通過、|:通過、
-:設定なし


車両(天竜峡~辰野)

特急・急行列車用車両

373系(天竜峡~駒ヶ根)

普通・快速列車用車両

211系(飯田~辰野)

213系

313系