関西本線(亀山~島ヶ原)

路線について

所在地 三重県(亀山~島ヶ原間として)
駅数 8駅(亀山~島ヶ原間として)
開業 1889年(明治22年)5月14日(当路線全体として)
1890年(明治23年)2月19日(柘植駅として)
1890年(明治23年)12月25日(亀山~島ヶ原間として)
距離 41.9km(亀山~島ヶ原間として)
複線以上が存在しているか ×
電化区間が存在しているか ×
最高速度 95km/h(亀山~島ヶ原間として)

関西本線(亀山~島ヶ原)路線図


クイックアクセスガイド

路線の概要(全体として)

路線の歴史(亀山~島ヶ原)

沿線の概況(亀山~島ヶ原)

駅の紹介(亀山~島ヶ原)

車両(亀山~島ヶ原)


路線の概要(全体として)

関西本線(かんさいほんせん)は、愛知県名古屋市中村区の名古屋駅から亀山駅、奈良駅を経て大阪府大阪市浪速区のJR難波駅に至る鉄道路線(幹線)です。名古屋駅~亀山駅間が東海旅客鉄道(JR東海)、亀山駅~JR難波駅間が西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄となっています。このほか日本貨物鉄道(JR貨物)の四日市駅~塩浜駅間、平野駅~百済貨物ターミナル駅間の貨物支線を持っています。

名古屋と大阪を三重県の北勢地方、伊賀地方、京都府南部、奈良県北部を経由して結んでいます。民間の鉄道会社である関西鉄道の路線として開業し、名古屋と奈良・大阪を最短距離で結ぶ鉄道路線として国鉄と乗客を奪い合った歴史を持ち、路線名もこの社名に由来しています。国有化後は1970年代まで全線を直通する列車が運転されていましたが、並行する東海道本線や東海道新幹線の整備、近鉄特急の台頭、名阪国道の開通によるモータリーゼーションの普及などにより、名阪間の輸送からは撤退しました。現在では亀山駅、加茂駅を境界として運転系統が3区間に分割されており、境界となる駅を跨いで運転される旅客営業列車は、急行「かすが」の廃止以降は一切運転されていません。

名古屋都市圏の名古屋駅~河原田駅間は三重県中南部や和歌山県紀南地方へ特急・快速列車などの直通列車が運行されています。河原田駅~亀山駅間は名古屋方面との普通・快速列車のみ運行しています。亀山駅~加茂駅間では非電化であり、1両ないし2両の気動車による地域輸送が行われています。名古屋駅~加茂駅間に路線愛称名はつけられていません。

名古屋駅~亀山駅間はJR東海東海鉄道事業本部の管轄(該当全区間直轄)、亀山駅(構内のぞく)~JR難波駅間はJR西日本近畿統括本部の管轄(加茂駅~JR難波駅間は本部直轄、亀山駅~加茂駅間は両端駅のぞき同本部の大阪支社亀山鉄道部の管轄)です。


路線の歴史(亀山~島ヶ原)

1890年2月19日関西鉄道(三雲~)柘植間開業。
1890年12月25日関西鉄道柘植~亀山(~四日市)間開業。その区間内に関駅・亀山駅が開業(他にも1駅あり)。
1896年9月21日加太駅を新設。
1897年1月15日関西鉄道の支線として柘植~上野(現在の伊賀上野駅)間開業。その区間内に佐那具駅が開業。
1897年11月11日関西鉄道支線上野~島ケ原(~加茂)間開業。
1898年4月19日関西鉄道支線の柘植~島ケ原(~加茂)間が本線となる。
1907年10月1日関西鉄道が国有化。
1909年10月12日国有鉄道線路名称制定により、関西本線となる。
1916年9月11日上野駅を伊賀上野駅に改称。
1921年7月15日新堂駅を新設。
1928年4月1日加太~柘植間に中在家信号場を開設。
1950年10月1日東京~湊町・鳥羽間で夜行急行列車が運転を開始。その翌月に「大和」と命名される。
1953年11月11日急行「大和」の鳥羽編成が「伊勢」として分離。
1955年3月22日名古屋~湊町間の準急に気動車(のちのキハ50形・キロハ18形であるキハ44600形・キロハ47000形)が投入される。国鉄初の気動車による優等列車となる。
1956年9月27日関西本線列車脱線水没事故が発生。
1958年11月1日名古屋~湊町間の準急が「かすが」と命名される。
1965年3月1日名古屋~東和歌山間(阪和貨物線経由)に気動車特急「あすか」が運転を開始。
1966年3月5日準急「かすが」を急行に昇格。
1967年10月1日特急「あすか」を廃止。
1968年10月1日急行「大和」「伊勢」「那智」が統合され、急行「紀伊」が運転を開始。
1972年3月15日急行「紀伊」の王寺駅発着列車を廃止。
1973年10月1日蒸気機関車の使用を廃止。
1982年9月29日柘植~島ヶ原(~笠置)間が自動信号化。
1982年10月18日亀山~柘植間が自動信号化。
1983年3月8日亀山~島ヶ原(~木津)間でCTCが導入される。
1987年4月1日国鉄分割民営化。西日本旅客鉄道(JR西日本)が継承。亀山~島ヶ原(~木津)間の貨物営業を廃止。
1990年6月1日亀山~島ヶ原(~加茂)間でワンマン運転を開始。
2006年3月18日急行「かすが」を廃止。中在家信号場での列車交換を廃止
2015年3月14日路線記号の本格導入を開始。
2017年10月22日台風22号の影響により、加太~柘植間で線路脇の亀裂と盛土のり面の崩壊が発生。亀山~島ヶ原(~加茂)間で不通となり、同区間でバス代行輸送が開始された。
2017年11月1日柘植~島ヶ原(~加茂)間が再開し、バス代行輸送区間が亀山~柘植間に短縮された。
2018年1月9日亀山~柘植間が再開し、バス代行輸送が終了となる。
2019年11月18日中在家信号場を廃止
2020年7月8日令和2年7月豪雨の影響による倒木が発生し、亀山~島ヶ原(~加茂)間で一時不通となった。

沿線の概況(亀山~島ヶ原)

亀山市にある亀山駅を出ると国道1号と併走して、東海道の宿場関宿の最寄り駅である関駅に着き、ここから国道1号と重複していた国道25号と並走して、加太駅に着きます。この先、鈴鹿山脈と布引山地の境界に当たる加太~柘植間には、加太越えと呼ばれる25‰(パーミル)の急勾配があり、蒸気機関車が走っていた頃は多くの鉄道ファンが訪れました。スイッチバック方式の中在家信号場(2006年に使用停止、2019年に廃止)はこの区間内にありました。信号場の先にある加太トンネルでは、蒸気機関車の煤煙が運転台に充満することを防ぐために、トンネル入り口に遮蔽幕を設置し、列車通過後にこの幕を下ろして列車後方の気圧を下げ、煤煙を列車後方に集めるよう、工夫をしていました。このような対策が施されたのは、日本全国の急勾配や長大なトンネルで、乗務員の酸欠や窒息事故が多発したことが理由となっています。伊賀市に入り、柘植駅では草津線が分岐しています。かなり構内が広いですが、駅の周辺は寂しいものとなっています。もともと関西鉄道が東海道のルートに沿って草津から亀山へ向かって線路を敷設したため、亀山方面から見ると草津線が直線で、関西本線が左へ分岐するような線形となっています。かつて、柘植駅には加太越えの蒸気機関車のために転車台や給水塔もありましたが、現在はすべて撤去されています。

柘植駅を出ると周囲は開け、伊賀盆地を走り、新堂駅に至ります。新堂駅を出て、しばらくは西を向いて走り、佐那具駅に至ります。その次の伊賀上野駅では伊賀市(旧・上野市)の市街地を経て伊賀神戸駅に向かう伊賀鉄道伊賀線が発着しています。忍者で有名な伊賀市(旧・上野市)の中心は伊賀鉄道で3駅行ったところにある上野市(忍者市)駅付近一帯となっています。そこに上野城がありますが、この駅を出た少し先のところから見ることができます。伊賀上野駅を出ると、並走する大和街道は国道163号に変わり、柘植川も木津川に変わります。しばらく平地を走り、島ケ原駅からは山間地へと入り、京都府の南山城村に入ります。


駅の紹介(亀山~島ヶ原)

駅名\種別 普通
亀山
加太
柘植
新堂
佐那具
伊賀上野
島ヶ原

※記号の凡例 ○:停車


車両(亀山~島ヶ原)

普通・快速列車用車両

キハ120形