三岐鉄道北勢線

路線について

所在地 三重県
駅数 13駅
開業 1914年(大正3年)4月5日
距離 20.4km
複線以上が存在しているか ×
電化区間が存在しているか
最高速度 45km/h

三岐鉄道北勢線路線図

クイックアクセスガイド

路線の概要

路線の歴史

沿線の概況

駅の紹介

車両


路線の概要

北勢線は、三重県桑名市の西桑名駅と、いなべ市の阿下喜駅を結ぶ三岐鉄道の鉄道路線です。

日本では数少なくなった一般的な営業を行う762mm軌間のナローゲージの鉄道路線の一つです。路線は1914年(大正3年)、大山田(現在の西桑名駅)~楚原間14.5kmに軽便鉄道として開業しました。戦時統合などによる運営主体の変更を複数回経て近畿日本鉄道(近鉄)の路線となっていましたが、累積赤字により近鉄が廃止の意向を打ち出したため、2003年(平成15年)4月1日から10年間の約束で地元自治体の支援により三岐鉄道が運営を継承しています(その後も地元自治体の支援は延長を繰り返して継続している)。


路線の歴史

1914年4月5日北勢鉄道大山田(現在の西桑名駅)~楚原間開業。
1914年8月5日桑名町(後の桑名京橋駅)~大山田間開業。
1916年5月10日星川駅を廃止。
1916年8月6日楚原~阿下喜東(後の六石駅)間開業。
1927年9月8日星川駅を貨物駅として再開業。
1931年7月8日六石~阿下喜間が開業し、全通。大山田駅を西桑名駅に、大泉駅を大泉東駅に、阿下喜東駅を六石駅に改称し、全線が電化。北大社変電所の運用を開始。
1932年11月1日星川駅の旅客営業を開始。
1934年6月27日北勢鉄道が北勢電気鉄道に社名を変更。
1938年5月3日稗田前駅を新設。
1940年11月電力事情悪化により1往復の列車運転を休止。
1941年6月1日1往復の列車運転を再開。
1944年2月11日北勢電気鉄道ほか6社(神都交通・三重鉄道・松阪電気鉄道・志摩電気鉄道・三重乗合・伊賀自動車)が合併し、三重交通(母体会社は神都交通)が発足。同社の路線となる。
1944年3月1日路線名称を北勢線と制定。
1944年7月1日稗田前駅、星川駅、大木駅、畑新田駅を休止。
1945年2月1日西桑名車両区を阿下喜駅構内に疎開。
1945年7月19日戦災のため、桑名町~西桑名間を休止。
1947年2月10日西桑名~阿下喜間の列車運行間隔を従来の30分間隔から35分間隔とし、所要時分を52分から57分にスピードダウン(多客と電力事情の悪化、車両の出力不足によるもの)。
1948年9月23日桑名京橋~西桑名間を再開し、桑名町駅を桑名京橋駅に改称(新駅名は一般公募によって決められた)。
1949年9月22日集中豪雨により一部区間で運転を休止。9月25日に復旧。
1950年1月16日阿下喜駅構内で列車脱線転覆が発生し、5名の重傷者を出す。
1951年10月18日電力事情悪化により6列車の運転を当面の間休止。
1953年9月桑名京橋駅付近に北勢線初の自動踏切警報器を設置。
1954年9月1日豪雨により西桑名車庫が浸水し、検査車両・モーター等が冠水する。
1954年10月5日北大社変電所の300kW回転変流器1台を水銀整流器に更新し運用を開始。
1954年10月28日架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
1957年11月25日上笠田~麻生田間の下り勾配S字カーブ(山田川橋梁桑名寄り)で通学客で満員の上り電車が脱線転覆を起こし、死者と重傷者がそれぞれ3名と、多数の軽傷者を出す(速度の出しすぎによる)。
1959年9月26日伊勢湾台風の直撃を受けたことにより5日間不通となり、西桑名車庫が浸水した。
1960年2月1日内燃動力(ディーゼル)を廃止。
1960年10月6日上笠田~麻生田間のS字カーブを修正した短絡線が開通。
1961年6月27日集中豪雨によって上笠田~麻生田間の土砂が崩壊し、7日間運転を休止した。
1961年11月1日桑名京橋~西桑名間を廃止(国道1号線の混雑対策による平面交差解消によるもの)。
1964年1月7日三重電気鉄道を設立(三重交通が100%を出資)。
1964年2月1日三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡し、同社の駅となる。
1964年6月西別所変電所(500kW水銀整流器1台)の運用を開始。
1965年4月1日近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併し、近鉄の路線となる。
1966年10月1日貨物営業を休止。
1967年4月1日麻生田変電所(300kW水銀整流器1台)の運用を開始。
1968年3月北大社変電所の300kW回転変流器1台を撤去。
1969年5月15日休止中の稗田前駅、星川駅、大木駅、畑新田駅を廃止。
1972年2月西別所変電所の500kW水銀整流器1台をシリコン整流器に更新し運用を開始。
1974年7月25日藤川橋梁の橋脚1基が増水のために傾斜し、七和~上笠田間において30日間のバス代行輸送が行われた。
1976年11月北大社・麻生田変電所の300kW水銀整流器1台をシリコン整流器に更新し運用を開始。
1977年5月10日北大社車庫が竣工。
1977年5月11日西桑名駅を移転し、西桑名~馬道間が0.1km短縮される。
1978年8月26日単線自動閉塞化し、ATSの使用を開始。
1991年11月15日列車無線の使用を開始。
1992年9月18日ワンマン運転を開始し(3両編成のみ)、各駅にホームミラーと乗車証発行機を設置。
1999年3月16日ダイヤ改正。昼間帯の北大社~阿下喜間が1時間ヘッドに減便される。
2003年4月1日近鉄が三岐鉄道に北勢線鉄道事業を譲渡し、同社による北勢線の運用が開始される(運賃は三岐鉄道の賃率に改正されたが、列車ダイヤの改正は無し)。
2003年10月24日砕石運搬車(保線作業に使用)3両が導入される。
2003年10月31日架線自動張力調整装置(テンションバランサー)が西桑名~楚原間に設置される。
2004年4月1日大泉東駅と長宮駅を廃止統合し、大泉駅を新設。六石駅を廃止。
2004年4月13日北勢線施設整備株式会社(北勢線に関する鉄道活性化補助事業を行なう第三セクター)が設立。
2004年5月1日交換駅(馬道駅・在良駅・七和駅・楚原駅)の左側通行化工事が完成。
2005年1月11日4両編成も含む全列車のワンマン運転を開始。
2005年3月26日坂井橋駅を廃止移転し、星川駅を新設。六把野駅と北大社駅を廃止統合し、東員駅を新設。北大社駅が信号場に降格し、北大社信号場となる。
2005年5月25日旧大泉東~大泉間で高圧配電設備(信号・駅舎電源)の使用を開始。
2006年3月14日東員~大泉間の出発・場内(北大社信号場のみ)信号機が3現示(GYR)化される{従来は2現示(YR)}。
2006年4月1日上笠田駅を廃止。
2006年4月11日戸上川の増水により東員~大泉間の茶屋川橋梁の橋脚1基が傾き、その付近で下り電車が脱線した。死傷者は発生しなかったが、東員~阿下喜間が不通となった(その後、4月13日に大泉~阿下喜間が、4月13日に東員~大泉間が再開)。
2006年7月12日旧上笠田駅構内の軌道を曲線改良工事により直線化。
2006年10月18日東員~北大社信号場間の橋梁(第20号溝橋)が撤去され、北勢線の橋が全部で47箇所となる。
2007年1月21日旧大泉東駅構内の軌道を曲線改良工事により線形を変更(5→1曲線)。
2007年8月4日~8月26日の間麻生田~阿下喜間の西六石川橋梁架け替えのため同区間を運休し、バス代行輸送を行った(8月27日に完成)。
2007年10月1日「北勢線対策室」が移転される(大泉駅北西の旧法務局→楚原駅南東の旧農協)。
2007年10月30日蓮花寺駅に自動改札機・券売機・精算機が設置され運用を開始。これにより北勢線全駅に自動改札機・券売機・精算機が設置された。
2008年7月9日旧坂井橋駅構内の軌道を曲線改良工事により線形を変更。
2008年12月1日蓮花寺駅を従来駅の約130m阿下喜方(在良地区市民センター隣接地)に移設。
2008年12月4日西別所変電所と麻生田変電所の使用を停止し、北大社変電所のみの運用となる(その後、西別所変電所と麻生田変電所は撤去された)。
2008年12月7日穴川~東員間の藤川橋梁を含む前後区間を曲線改良工事により線形を変更し、藤川橋梁が新橋に架け替えられる。
2011年1月12日三岐鉄道初の女性運転士(2名)が北勢線に誕生する。

沿線の概況

桑名市にある西桑名駅を出てしばらくはJR関西本線や近鉄名古屋線と並走し、日本で唯一となる三線軌間を道路が横切る踏切を通ります。馬道駅の手前で左にカーブをとって、JR関西本線や近鉄名古屋線の上を跨ぎます。馬道駅からは員弁川を沿うように進み、田園地帯も通るようになります。穴太駅の手前で東員町に入り、大泉駅の手前でいなべ市に入ります。その後も田園地帯を通り、阿下喜駅に着きます。


駅の紹介

駅名\種別 普通
西桑名
馬道
西別所
蓮華寺
在良
星川
七和
穴太
東員
大泉
楚原
麻生田
阿下喜

※記号の凡例 ○:停車


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